こんにちは。ままてぃ代表の篠原です。来日22年、大学行って、仕事して、結婚して、ママになって、起業して、娘、女性、妻、母、外国人、社会活動者、起業者、経営者…等、様々な顔を持ち、いろんな想いを抱え、日々楽しく面白く生きてます。
コロナ禍で、イベントや社会活動が難しくなりましたが、お陰で自由な時間が増えました。自分がやってきたこと・日々感じてること、この機会に書いていこうと思います。
記念すべき第1回は、記念すべきコロナ中のホテル隔離という貴重な体験について書きます。
目次
コロナ⇔がん、どっちが怖い?
子どもができてから改めて親のありがたみが分かって、この頃毎年3・4回は実家に帰っています。しかし、コロナになって感染リスクや移動の大変さがあって、1年以上帰らなかった。今年1月のある日、「母が肺がん」と実家から突然知らせが来ました。何の予兆もなく、数日前に楽しくテレビ電話したばかりでしたから、びっくりして頭が真っ白になりました。そして、コロナだから1年以上帰らなかったこと、海外で結婚して定住したこと、そもそも海外に来てしまったこと、これまでの20年のすべてを後悔し、自分を責めました。そして、何も考えずに、会社も家も置いて、片道チケットで1人帰国。コロナ感染のリスクは心配ですが、それでも「がん」というものに対しての怖さがもっと強かった。間に合わないかも、もう会えないかも、後悔するかも、コロナのリスクを負ってても、行くしかなかった。
コロナ禍の中国帰国は大変。
コロナ禍で、海外に行くのは、とてもとても大変。まず、飛行機のチケット手配。目的地は北京。通常成田〜北京は1日10便近く飛んでます。でも、コロナ禍、北京着便はなし!上海経由で帰ることに。それも、便数が少なくなり、何とか2週間後のチケットを確保できました。
次は、出発日72時間以内のPCR検査。大使館指定の検査機関があります。その中から近所の病院を見つけて、2日前に検査を受けました。翌日に結果を受け取って、その結果を指定アプリで大使館に送付します。1時間後に大使館から承認コードを送られて、これでやっと出国可能
1月22日、フライトの日。成田空港はいつも人が溢れかえるほどでしたがこの時期はガラガラ。日本に来て、こんな広々とした成田空港は初めてでした。
飛行機に乗ったら、CAさんは全員防護服でした。
機内食はパンとみかんと水でした。CAさんは防護服で、乗客も防護服の方がいましたので、ちょっと物々しい感じの中、機内食は食べず、終始マスクを取らずに寝て過ごしました。
上海交際空港に到着して、まずは同意書を記入してPCR検査を受けました。全員陰性で無事に入国できました。ロビーで、wechat(LINEみたいなもの)を使って情報入力し、新たな健康コードを取得。そして、20人ずつバスに乗せられ、どこに行くかは説明がないまま出発。ちょっと怖いけど、まあホテルかな⁈
バスで1時間半走って、着いたのはホテルでした。良かったと一安心(笑)ホテルのスタッフさんも防護服でした。チェックインと注意事項説明。
説明で告げられたことは、①これから2週間ホテル隔離。〇〇日の〇〇時までです。②隔離期間中は、部屋から一歩も出ないでください。廊下に出た場合警察に通報します。③毎食お弁当を届けます。④タオルとトイレペーパーは提供します。水は買えます。清掃はしません。⑤毎日朝夕2回体温報告してください(体温計配配布)。⑥連絡はなるべくwechatのメッセージでお願いします。詳しいことは、説明書を見てください。
コロナ禍のホテル隔離、孤独が苦手な人にはちょっと辛い
2週間のホテル隔離がスタートしました。ホテルも部屋も選べないので、汚い狭いホテルに当たった方もいるそうですが、幸い綺麗で広めのお部屋でした。2週間も生活する部屋ですから、これはありがたい。
隔離中のご飯は、美味しい中華弁当です。朝昼晩3食、決まった時間に廊下の椅子に置いてくれてベルを鳴らしてくれます。もちろん作りたてで暖かいものです。肉料理、野菜料理、朝はお粥やワンタンや飲茶、ヨーグルトや果物がついてくることも、品数が多くて、美味しくて最初は感動しました。しかーし、毎日毎食これだと、重いし、3日くらいで飽きますね。1週間経った頃見るのも吐き気がして、ほぼ食べられなくなりました。
1日1回宅配を頼めます。中国はUberや宅配がとても発達してますので、スーパーの食品を頼んだり、足りない生活品を頼んだりできます。大抵2時間以内で届きます。それをお弁当と一緒に届けてくれます。辛いものや発酵食など匂いのするものはNG、お酒やタバコもNGです。お店のご飯やカットフルーツもダメです。後半お弁当が入らなくなった時は、パックのフルーツやパンとか頼んで凌ぎました。
そして、隔離の1日は、なぜかものすごく長〜く感じます。家事も育児もしない、人とも話さない、予定もない。起きる時間も寝る時間もまったく制約なし。そんな自由な日が2週間も!ワァオー、子供産まれて以来初めて!ソワソワして落ち着かない。仕事したり、本を読んだり、ネットでドラマをみたり、トレーナーに作ってもらったメニューで体を動かしたり、最初の1週間くらいは、すごく充実でした。お菓子、コーヒー、お茶、たくさん持ってたので、久しぶりの1人のんびり時間も良かったなと!
しかーし、2週目に突入した頃、突然どうしようもなく、不安やイライラが襲ってくる。外に出たい!外の空気吸いたい!走りたい!生身の人間と会話したい!熱々のラーメンが食べたい!ここから最後の3日はかなり辛かったな。まあ元々集まりが好きで、人と関わったり話したりするのが大好きな人だから、孤独は苦手ですね。暇すぎて、スニーカーを洗ったり、ホテルのシーツを洗ったり、床拭きしたり、窓拭きしたり、今思えば不思議なこといろいろやりましたね。
なんとか、14日を乗り切り、めでたく「隔離解除証明」をいただき、外に放出されました。
コロナ禍の上海、変わらず美味しくて、おしゃれで、エネルギッシュな街。
しかーし、上海の決まりでは集中隔離14日ですが、北京の決まりは21日。このまま北京に移動してもう1週間ホテル隔離するか、上海でホテルを探してもう1週間自由に過ごしてから北京に行くか。もちろん後者ですよね。というわけで、新たにホテルを探して、上海で自由気満々の1週間を過ごしまします。たくさん美味しいものをいただく!街中完璧なコロナ対策。路面店も、ショッピングセンターも、駅も、オフィスビルも、建物というもの全ての入るのに、wechatでQRコードを読み込んでチェックインする必要があります。お店で注文する時もテーブルでQRを読み込んで注文。これで、誰がいつどこに入るかほぼ完璧に把握できますので、陽性者が出たら、密接者をすぐに瞬時に特定できます。凄すぎます!
久しぶりの上海、久しぶりの1人旅、久しぶりの自由気満々の日々。隔離の辛さ、一瞬で忘れますね。
上海〜北京、コロナ禍での中国国内移動もPCR検査と在宅観察期間が必須
さて、やっと北京に移動。新幹線で移動すると、通過する各エリアにログが残るらしく、各行政から確認の電話が入るらしく、面倒なので飛行機にしました。
中国の国内移動も、コロナ禍だと、県を跨ぐ場合はPCR検査結果の提出が必須。また72時間以内のPCR検査して、フライトに乗り、北京へ。着陸して、入国してから21日以上経ったことが分かる証明を求められ、ホテル滞在記録を提出して、通過。これで無事に家に帰れます。
北京の家に着いて、そこから7日間は、在宅健康観察期間。外出は最小限に、毎日朝夕2回体温と健康状況を報告する、それを7日間。上海隔離も合わせると、約1ヶ月も観察対象になります。これなら撲滅できるわけですね。
コロナ禍の中国移動、お金がかかる
1月22日に成田から旅立ち、上海経由で北京の家に着いたのは、2月13日。長い長い旅でした。期間が長いだけでなく、コロナ禍の移動はとてもお金がかかります。
飛行機代、片道15万円(通常往復7万円)
隔離中のホテル代、14日宿泊+3食お弁当=12万円。そうなんです。ホテル隔離は自費です。
北京入れない7日間のホテル代、35,000円。自分で探すから比較的安いところ。※安すぎるホテルは、海外入国者泊められないところも。
北京入れない7日間の食費、35,000円。
PCR検査、日本で25,000円。上海で1,500円
日本〜北京の家まで、36万越え。え?!7万円で帰れるのにって思うと、高すぎる!
でも、コロナ禍、世界中が大変な状況になっている中、航空会社の方に医療関係の方も、かなり負担がかかている中、帰国させてもらったんですから、感謝しかないですね。ですね。
そして、家を空けて、会社を空けて、長期間不在になるのは、周りの支えがないとできないこと。今回は、家族にもスタッフにも頼りっぱなしでした。次は、「妻・母長期間不在の家」「社長長期間不在の会社」についても書こうかなと思います。みなさん、本当にありがとうございました。
(株)CROSSASIA代表。子育てコミュニティ「ままてぃ」代表。中国瀋陽生まれ、大学から来日。棗、お粥、中華料理が大好き。食べるのも作るのも好き!
ママになってもやりたいこといっぱいの「夢見る」女性が大好き!活動を始めたい、フリーランスになりたい、起業したい・・・そんなエネルギッシュな女性を応援します!